この世に「絶対」は、「絶対」にない。
よくある言葉遊びだけど、なかなか真理をついていると思う。
- 絶対安全なセキュリティーなんてない。
- 「絶対痩せます」なんて信じられない。
- あなたには絶対的な信頼をしていたのに。
- 絶対に解決できない問題はない。
- 野球の試合に絶対はない。
誰かの言う「絶対に大丈夫だよ」みたいな言葉に対して「あのねぇ、絶対なんてものはありえないだよ。」って言いたいんだと思う。
すごく同意する。
簡単に「絶対」なんて言葉をを使うのは危険で、予期せぬ事態や奇跡が起こったとき、ぼくたちの「絶対」は打ち壊されてしまう。
だからこそ、「絶対」をすぐに信じるのは危なっかしくて、絶対はないんだということを伝えるための言葉遊びだと思う。
唯一存在する「絶対」

しかし、気づいているだろうか、
どんなにこの世の中が変わっても、
どんなに時代が変わっても、
変わらないものが一つだけある。
「人は絶対に死ぬ。」ということだ。
それは寿命かもしれないし、事故、あるいは病気かもしれない。
どんなシチュエーションであろうと、人はいつか死んでしまう。
さて、少し考えてみてほしい。
もし「10年後に死ぬ」とわかっていたら、どうするだろう。
今考えている進路に進むだろうか。
今考えている仕事につくだろうか。
学校や人間関係はどうだろう?
この質問に「イエス」と即答できる人は少ないのではないだろうか?
「もっと良い生き方があるんじゃないだろうか」と考えるはずだ。
これが50年、60年後であっても同じことだと思う。
もし「60歳で必ず死ぬ」とわかっていたら、
「まずは安定した会社に就職して…」なんて考えるだろうか。
これも即答できないだろう。
その延長だ。
ぼくたちがこの世でできることには限りがある。
無限じゃない。
いつか、必ず終わりの日がやってくる。
もっと自分らしく生きる

それなのに。
終わりがあるとわかっているのに。
世の中に漂う雰囲気、風潮に流されて、
生き方が勝手に決まっていたりしないだろうか?
「こっちの方がいい」
「こうあるべきだ」
「なんでこうしないの?」
そう言われたからと、
他人の口からでた言葉に人生を飼いならされていないだろうか?
「無理だよ」
「今やるべきじゃない」
と言われたからと、心からやりたいことを諦めていないだろうか?
人生は有限だ。
このことを忘れると、やりたいことにも挑戦できず、
時には自分に言い訳をして、あっという間にとしをとっていく。
知っているだろうか。
死ぬ間際の後悔ベスト1位は
「もっと自分らしく生きればよかった」だ。
どんなにお金持ちになっても、
どんなに長生きしても
人目を気にして生きた人生はきっと流れ作業のような薄っぺらいものになってしまうんじゃないだろうか。
他人の人生じゃなく、自分の人生を謳歌すること。
それがぼくたちの使命だ。
次の一歩からでいい。
自分の意思で踏み出さなくてないけない。
そんな気がする。
いや、きっとそうだ。
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